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カテゴリ:国立新美術館( 27 )

草間彌生 わが永遠の魂

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草間彌生 わが永遠の魂
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2017年2月22日-5月22日
主催:国立新美術館・朝日新聞社・テレビ朝日
サイズ:A3(二つ折りA4サイズ)

by ephemera-art | 2019-12-03 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

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至上の印象派展 ビュールレ・コレクション
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2018年2月14日-5月7日
主催:国立新美術館・東京新聞・NHK・NHKプロモーション
サイズ:A4
上:エミール・オーギュスト・ルノワール <イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)>(部分) 1880年 ビュールレ・コレクション
下:クロード・モネ <睡蓮の池、緑の反映>(部分) 1920-26年 ビュールレ・コレクション


(別バージョン)


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サイズ:A3(二つ折りA4サイズ)
下:ポール・セザンヌ <赤いチョッキの少年>(部分) 1888-90年 ビュールレ・コレクション


 少女は、柔らかな筆致で光輝くばかりに、美しく描かれています。描いたのは印象派の巨匠ルノワールです。
 この絵の前年にサロンに出品した『シャルパンティエ夫人と子どもたち』が入選し、ユイスマンスをはじめ絶賛されます。この成功により、パリの富裕層から肖像画の注文をうけるようになるのです。あるパーティで知り合った金融業者から銀行家の夫人を紹介され、その娘を描いたのがこの作品です。
 注文制作の肖像画は、どうしても肖似性が問題になり、光を捕らえるあまり形態がおぼろになるような表現は取れません。その後、新古典派の影響で、明確な輪郭をとるようになるルノワールですが、肖像画の発注制作の経験も影響していたかもしれません。(平松洋『【名画】絶世の美女』 新人物往来社 2011年)

by ephemera-art | 2019-07-09 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展_f0364509_20102110.jpg



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魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2014年6月18日-9月1日
主催:国立新美術館・TBS・オーストラリア国立美術館
サイズ:A4

by ephemera-art | 2018-11-09 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

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フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2007年9月26日-12月17日
主催:国立新美術館・NHK・NHKプロモーション
サイズ:A4
表:フェルメール <牛乳を注ぐ女> 1658-59年頃 アムステルダム国立美術館


 一人の女性が一心に牛乳を壺から鍋に注ぎ、固くなったパンをミルクで煮ようとしている。きわめて単純な構図でありながら、忘れがたい印象を残すフェルメールの初期の傑作である。宗教的な意味や教訓はなく、日常の一コマを切り取っただけだが、オランダの質朴な市民の暮らしがたたえられているようだ。
 女性の姿は室内にあふれる光と入念に構想された構図によって堂々として見え、大きな存在感をもっている。壁にはもともと《絵画芸術の寓意》のように大きな地図が掛かっていたが、塗りつぶされたことがわかっている。白い壁を背景とすることで、女性の姿がさらに際立つことになった。
 女の衣や陶器の器、手前のパンには光る斑点が見られるが、これは当時流行し、カメラの原型となった「カメラ・オブスクーラ」という光学器械を通して外界を見たときに現れる光の粒である。フェルメールの絵の多くにはこうした光の粒が描かれており、彼はこの器械を用いて描いたと考えられる。 (宮下規久朗編著 『不朽の名画を読み解く』 ナツメ社 2010年)


 傾けた壺の口からは、時間が流れ出ている。白い絵具で描かれているのは、流れ落ちる牛乳である。でもその牛乳にぴたりと時間が張りついて、いっしょに流れ出ている。
 とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける。
 壺の中には無限の時間が詰まっていて、無限の牛乳も詰まっているのか、この絵をじーっといつまで見ていても、牛乳時間は流れつづける。
 でもこれは絵である。キャンバスに油絵具で描かれている。流れ出る牛乳の白は、幅広の面積から一本の棒になり、白い垂直線として引かれている。つまり流体の牛乳は、そこで一本の棒として展示されて、牛乳に張りついた時間だけが、そのままとろとろと流れつづけて、そうやって十七世紀以来三百数十年の歳月が流れた。
 時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットされた世の中の時間と。
 フェルメールが塗った単なるふつうの油絵具が、永遠の瞬間といわれる時間の枝分かれを、現実のものにしてしまった。
 それを可能にしたのは、フェルメールの奇跡的な描写力だと、いってしまえばそれだけのことになるが、描写力そのものの不思議さについて、これだけ考えさせられる画家は他にいないのである。
 でもそういう考えを表に出さなくても、この絵はフェルメールの絵の中でも「デルフトの眺望」に次ぐ大勢の人気をかち得ている。 (『赤瀬川原平の名画探検 フェルメールの眼』 講談社 1998年)

by ephemera-art | 2018-09-28 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

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ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2011年6月8日-9月5日
主催:国立新美術館・日本テレビ放送網・読売新聞社
サイズ:A3(二つ折りA4サイズ)
上:エドゥアール・マネ <鉄道> 1873年 ワシントン・ナショナルギャラリー
下:フィンセント・ファン・ゴッホ <自画像>(部分) 1899年 ワシントン・ナショナルギャラリー



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別バージョン
サイズ:A4
表:クロード・モネ <日傘の女性、モネ夫人と息子> 1875年 ワシントン・ナショナルギャラリー



by ephemera-art | 2018-07-07 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

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ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム展
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2015年6月24日-8月31日
主催:国立新美術館
サイズ:A4



by ephemera-art | 2018-05-29 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

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アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2016年7月13日-10月10日
主催:国立新美術館・TBS・朝日新聞社
サイズ:A4
表:ジョヴァンニ・ベッリーニ <聖母子(赤い智天使の聖母)> 1485-90年


by ephemera-art | 2018-05-09 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

ルノワール展

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オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2016年4月27日-8月22日
主催:国立新美術館・オルセー美術館・オランジュリー美術館・日本経済新聞社
サイズ:A3(二つ折りA4サイズ)
表:ピエール・オーギュスト・ルノワール <ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会>(部分) 1876年 オルセー美術館



 ムーラン・ド・ラ・ギャレットはパリの北、そのころはまだ郊外だったモンマルトルの丘の上にあった大衆酒場兼ダンスホールとして賑わっていた。踊りながら抱き合い、ささやき合いながら踊っている。そうした幸せそうな人々をルノワールは色斑の美しさで捉えている。このダンス場は毎日曜日の午後三時から真夜中まで開かれた。午後の柔らかい光に包まれて、ルノワールの世界は晴れやかで喜びにあふれている。
 ルノワールはこの戸外のダンス場に東京摺る人物に友人や知人、絵のモデルといった人たちを描き込んでいる。彼らは決して富裕階級とはいえないが、それなりにファッショナブルな身繕いをしている。
 ほんの少し前までまだ粉ひき風車が回っていたこの丘の風車小屋のそのわきで、コップワインとクッキーつまりギャレットを打っていたドゥプレさんは、風車小屋つまりムーランをダンスホールに改造し、その名もムーラン・ド・ラ・ギャレットと名付けた。当時、日曜には郊外へ出かけるのが流行していたパリの人にこれが当たった。
 ナポレオン三世は華やかな舞踏会を政治的に使い、第二帝政以後さまざまな舞踏会が事あるごとに催された。富裕階級は高級仕立てのオートクチュールの豪華なドレスで舞踏会や劇場へと出かけたが、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの午後の客である庶民にとっても、ダンスパーティーは最大の愉しみの一つだった。そのころから、ようやく庶民にもファッションは手の届くものとなり、社交のための衣装は産業としてのファッションを発展させた。
 この絵の中で女性たちが着ているのはサイドシルエットに特徴のあるバスル・スタイルのドレス、夏らしい白っぽい薄手素材でできている。男性は当時の流行だった黒いスーツスタイル。戸外だからそれぞれに帽子をかぶっている。いちばん礼儀にかなったシルクハット、。山が丸いのはいくぶんくだけたメロン帽(ソフト帽)。そして、このころ夏に流行していた麦稈製のカノチエ(カンカン帽)である。
 だが、女性の方に帽子をがぶっている人が少ないのが気にかかる。というのはこの時代は、午後の外出にちょっとした家の女性なら「必ず」帽子をかぶらねばならなかったというのにだ。ということからも彼女たちがそう良い家の女性とはいえない、あるいは自由奔放に生きていることが露見する。そんなことをとやかく言うほうがおかしいと、ルノワールは屈託なく明るく生きている人々を描いている。 (深井晃子 『名画とファッション』 小学館ショトル・ミュージアム 1999年)


 1870年代から1880年第代初頭までが、ルノワールの印象主義時代。本作は彼の印象主義時代の代表作です。作品の舞台、モンマルトルの丘はパリの北のはずれにあり、当時は迄葡萄畑や風車が残るのどかな田園風景が広がっていました。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、二つの風車が目印の開かれたばかりの書面的なダンスホールで、ここはお針子など若い娘たちと、労働者や若者たちの落ち合う場所でした。
 明るい日曜日の午後、若い男女がくつろぎ、しゃべり、踊る、画面からそのざわめきや熱気が伝わってくるようです。場面に活気を与えているのが、ルノワール独特の印象主義時代の手法である木漏れ日です。大胆な木漏れ日は人々の肩に、服に、地面に降り注ぎます。この人々に落ちる木漏れ日こそが人物画家らしいルノワールの特色です。印象派らしく影の部分には青や紫が使われています。画面いっぱいの、ゆらめく多彩な光の斑点をじっくりご堪能下さい。ここがこの作品の見どころです。
 ところが当時はこのような木漏れ日の効果は全く理解されませんでした。本作や部屋31にある「陽光を浴びる裸婦(Etutde.Torse,efette de soleil)」などの傑作は、「モデルは皆水疱瘡にかかっている!」と散々な言われようでした。フランスの大衆も批評家も実に保守的だったのです。
 本作では多くの人物で溢れかえるダンスホールの様子が、雑然と描かれているように見えますが、ここには秩序があります。踊る人物やガス灯の垂直線、背景奥の人物たちや建物の水平線、さらに前景中央の三人が古典的なピラミッドを形作り、この作品に安定感を与えています。
 この前景中央の帽子を被りかがむ美女は画家お気に入りの16歳のモデル、ジャンヌ、ベンチに座っているのがその妹のエステル、後ろ向きで美人姉妹と話をしているのが画家ピエール・フランク・ラミー、ジャンヌへ憧れの眼差しを向けているのが前景右端のカンカン帽をかぶったジョルジュ・リヴィエール、彼は大蔵省の役人で、日に大出世してルノワールの伝記を書くことになります。リヴィエールの横でパイプをくわえているのが画家ノルベール・ゲヌート、この三人の男性はルノワールの親友です。画面中景左側でひと際目立つカップルがいますが、女性はルノワールのもう一人のお気に入りだったモデルのマルゴ、男性はキューバ出身の画家ソラレス・イ・カルデナス。マルゴは当時のルノワールの恋人でした。
 このようにルノワールのの友人たちが総出演のこの作品では、人々は視線を交わし、温かい触れ合いを持ち、若い男女は青春を謳歌しています。ルノワール独特の華麗な木漏れ日が画面全体に散らばり、この光の斑点こそが、本作の幸福感や共鳴のもとです。
 ところで本作の画面が両端でぷっつりと断ち切られていることにご注目ください!ここで日本の浮世絵の断ち切りの構図が用いられています。これによって画面の外にまで情景が広がることが連想され、また臨場感が生まれます。木漏れ日の中の若者たちの歓楽図に、日本の浮世絵の影響が繋がる。何とお洒落なルノワールでしょうか! (有地京子 『オルセーはやまわり』 中央公論新社 2014年)


 ルノワールはサン・ジョルジュ街の家のほかモンマルトルのコルトー街十二番地にアトリエを持っていた。十八世紀の建物で、屋根裏の二部屋と一階の厩舎を借りている。「ブランコ」などにその庭が描かれた。そこで彼はダンス・ホールのムーラン・ド・ラ・ギャレットをテーマにした大構図の絵を構想した。経営者のドブレが七六年、ルノワールのために大仮面舞踏会を開いてくれた。この作品は「歴史の一頁、正確きわまりない、パリ生活を活写した貴重な記念物」(伝記作者のジョルジュ・リヴィエール)と言える。アンヌ・ディステルさんによれば、「ルノワールがここで、より小さなサイズの作品を通して積み重ねてきた経験を発展させているのは明らかだ。それは主に、フォルムの輪郭を明確にせずに色調で表現し、陰影も彩色するという、流動的、暗示的な技法の採用からなる。後に印象派をけなす人々がルノワールを攻撃したのはまさにこの点であった」。
 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は七七年の第三回印象派展に、ほかの二十点と出品された。仲間の画家ギュスターヴ・カイユボットが買い取った。彼は大金持ちで仲間に対するメセナ活動をした。印象派展の費用ももっとも多く負担している。かつてのバジールの役割を果たした人物である。カイユボットは自分のコレクションを国家に遺贈するという遺言状をつくって、死後、国家が引き取りをためらう場面もあったが、のちにオルセー美術館の貴重な財産となった。 (小島英熙 『活字でみるオルセー美術館』 丸善ライブラリー 平成13年)


 1877年の3回目のグループ展からは、印象主義の画家ではないドガの反対を押し切り「印象派の画家たちの展覧会」という名称になった。ルノワールは、この展覧会開催の準備に尽力し、カイユボットも資金を出して会場を手配した。そして、ルノワールが出品した大作『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を購入したのもカイユボットだった。この展覧会で一番の話題作だった。
 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、モンマルトルの丘にあった労働者階級が集った「ギャンゲット」である。ギャンゲットとは、市街にある大衆的な酒場のことで、ダンスや飲食も楽しめる娯楽場だ。川に面した場所にあることが多いのは、川遊びを楽しみ、そして川魚料理を食べながら屋外で過ごしていたためであり、市外にあったのは、当時のパリ市内だと飲酒の際に税金がかかったからである。週末になると無税で酒を飲むために、発展著しい鉄道を使って庶民がギャンゲットに集まって楽しんだのだ。ムーラン・ド・ラ・ギャレットがモンマルトルにあったのも、第二帝政時代のパリ大改造によって城壁が取り壊されるまでパリの市外地区だったためである。
 しかし、ルノワールが描いたムーラン・ド・ラ・ギャレットに集う人たちには、日々の労働の憂さを晴らしに来ている人々の苦労も苦悩もいっさいうかがえない。上層ブルジョワ階級出身のマネ、ドガ、カイユボットが労働者に対して向けたドライな視線と違い、ルノワールは労働者階級に対して常に温かい視線を注いでいた。人生の現実であり、闇の部分を肌身に感じていたルノワールだからこそ、あえて人生の喜びしか描かなかったのである。彼は観ていて楽しくなるような絵しか描かなかったのだ。
 ルノワールは『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』で、作品全体の色調を青のグラッシ(乾いた作品の表面に薄く塗る透明な油絵の具)を施して整え、深い輝きを表した。その結果、作品全体が幸福なオーラで満たされることとなったのである。
 その際、ルノワールはカンヴァスをムーラン・ド・ラ・ギャレットまで担いでいって現場で制作した。そして、これを基に大型のヴァージョンがアトリエで制作されたのだ。カイユボットが購入したのは、ルノワールがアトリエで制作されたものである。そして、現場で制作された小型ヴァージョンを購入したのが、税務官吏だったヴィクトール・ショケだ。
 ちなみに、この小型バージョンをバブル期の日本人が高額で競り落とし、もう1点所有していたゴッホの『ガシェ博士の肖像』(1890)とともに、「自分が死んだら棺桶に入れて一緒に燃やしてくれ」と言ったのである。その結果、好景気に沸いていた日本経済に対する反感もあって、世界中を唖然とさせただけでなく激怒させてしまったのだ。
 現在、この小型ヴァージョンが日本に残されていないにもかかわらず、このエピソードだけがバブル崩壊後の負の遺産のように、バブル期の日本における金融対策としての「印象派熱」を象徴する出来事として残ってしまったのである。
 小型ヴァージョンの最初の所有者となったショケは、日本のバブル紳士と違って決して多いとはいえない給料をやりくりし、投機対象としてではなく自分の喜びのために絵画を収集していた。ドラクロワの崇拝者だったショケは、1875年の競売会以来、ルノワールの作品にドラクロワとの類似点を見いだしていたのである。また、ショケは当時唯一といってもよいセザンヌの愛好家でもあった。 (木村泰司 『印象派という革命』 集英社 2012年)

by ephemera-art | 2018-04-16 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

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大エルミタージュ美術館 世紀の顔 西欧絵画の400年
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2012年4月25日-7月16日
主催:国立新美術館・日本テレビ放送網・読売新聞社・エルミタージュ美術館
サイズ:A4片面
表:アンリ・マティス <赤い部屋(赤のハーモニー)> 1908年 エルミタージュ美術館


 ある時マティスのアトリエを訪れたある女性がこう注意した。「あら、この女の人の腕はどう見ても長すぎますわ。」マティスは礼儀正しくこう答えた。「奥様、それは違います。これは女ではありません。これは絵なのです。」
 絵画というものは、私たちが見ている現実世界と同じである必要はない。例えば、マティスが《赤い部屋》で示したように、現実よりもっと装飾的であってもかまわないのだ。画中にあるのが何であるかはたやすくわかる──しゃれた感じに整えられた食卓、こざっぱりした召使、色鮮やかなテーブル・クロスと壁紙、椅子、窓。窓からは木や草が見え、遠くに家が1軒ある。しかし、マティスの描き方は現実の見え方とは全然違う。だが、違っていていけない理由があるだろうか。それに、パターンの楽しげな戯れのほうが実際の見え方よりずっと面白く、平面の装飾にはずっと適切なのではないだろうか。 (スーザン・ウッドフォード 『絵画の見方』 ミュージアム図書 高橋裕子訳 2005年)

by ephemera-art | 2018-03-11 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)

シュルレアリスム展

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シュルレアリスム展 パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による
国立新美術館 公式サイト
開催期間:2011年2月9日-5月9日(5月15日まで延長)
主催:国立新美術館・ポンピドゥセンター・読売新聞社・日本テレビ放送網
サイズ:A3(二つ折りA4サイズ)
表:ルネ・マグリット <秘密の分身> 1927年 パリ・ポンピドゥセンター
裏:イヴ・タンギー <岩の窓のある宮殿> 1942年 パリ・ポンピドゥセンター


by ephemera-art | 2018-02-01 00:00 | 国立新美術館 | Comments(0)